| Newton 創 刊 2 0 周 年 に よ せ て |
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1981年に私は東京大学を定年退職した。その約10年前の1972年に、私は裳華房 から「地球科学の諸問題」と題する専門書を、また定年後の1990年に同文書院から、 「竹内均 地球科学論文集」を自費出版して同学の人達に配った。1972年自費出版 を「生前の葬式」とよんでくれた人もいた。定年退職後は理科好きの若者を数多くつく る仕事をしようと考えた私は、科学雑誌「ニュートン」の編集長および大学受験予備校 代々木ゼミナールの校長になり、現在にいたるまでその仕事をつづけている。 ニュートンのような科学雑誌の出版を、私は東京大学定年の約10年前から考え、知り 合いの出版社社長たちに提案していた。同意してくれた中で最も熱心だったのは、教育 社(現キョーイクソフト)の社長の高森圭介さんであった。彼との最初の出会いは、何か 文句をいうことがあって、私が教育社を訪問したときであった。すなおにあやっまってく くれた高森さんにおどろいた私は、その直後に科学雑誌の出版を提案し、高森さんは、 本気になって私の話を聞いてくれた。こうして定年の約3年前から準備がはじまり、3月 末に定年退職した1981年の7月号からニュートンがスタートした。 出版には素人の私が編集長を務めるとあって、ニュートンの前途を危ぶむ声もあった。 私の弟子たちの中には、笑いながら「先生が編集長をされるのだから、ニュートンは3か 月でつぶれる」と予言する者もいた。しかし幸いにして、この「予知」ははずれました。 ニュートンの創刊号(1981年7月号)。NEWTON SPECIALでは「万有引力」を取り上げ た。発行部数はみなさんが千部ぐらいという予想を大幅に上回り40万部であった。 Newtonの創刊号は空前の売れ行きを示し、それに追従して科学雑誌の創刊があいつい だ。しかし、それらのすべてが今は姿を消し、Newtonだけが生き残っている。そして Newtonはすでに20年間その絶好調を保ちつづけている。こういう夢のようなことがおき たのも、長い間Newtonを支えつづけてくださった読者のみなさんのおかげである。 ほんとうにありがとうございました。 まだ大学にいたころから、私は研究とともに、著作、ラジオ、テレビ、講演などを通じて科 学の教育に熱中してきた。それが科学者として楽しい一生を送らせてもらったことに対す るせめてもの恩返しにもなり、また科学と技術だけが日本の将来を明るくすると考えたか らである。こういう教育活動を通じて私は、カラフルできれいな絵や写真と、わかりやすい 分章や語りが教育にたいへん役立つことや、自然科学の特徴が「実証」であることを痛 感した。Newtonの編集にも、私はこれらの経験を生かしつづけた。私はこの7月で満81 才になる。しかしこれからも今までどおりの働きをつづけるつもりである。 読者の皆さんのこれまでどおりの支持をお願いします。(2001・7) 編集長の略歴 1920年福井県大野町にて誕生 大野中学(現 大野高校)の2年の夏休みに寺田寅彦先生(1878〜1935) (東京帝国大学教授 地球物理学者)の随筆「茶碗の湯」に感銘を受けて研究者を志す。 1938年東京帝国大学理学部地球物理学科へ入学 1949年東京大学助教授(29歳) 1953年ケンブリッジ大学留学 1958年カリフォルニア工科大学地震研究所 1963年東京大学教授 1964年ベルギー科学アカデミーより「ラグランジュ賞」受賞 1964年コロンビア大学ラモント地質研究所で研究 1964年NHKブックス「地球の科学」出版 新版大陸移動説の世界普及に貢献 1982年NHK放送文化賞受賞 NHK教育テレビ2000回出演 科学の普及に貢献 1981年東京大学定年退官 1981年科学雑誌「ニュートン」の編集長 2001年現在に至る。現在まで約450冊の著書を出版する。 科学雑誌「Newton」の歴史は「竹内 均」の歴史です。 今後ともご支援お願いします。 |
| 編集長 | 竹内 均 |
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